「勉強しなさい」の代わりに

中学高校へ通っているお子さんたちは、そろそろ定期テストの時期ではないでしょうか。

そこでお父さんお母さんたちに質問です。お子さんへ、「勉強しなさい」って言ったことはありますか?

そして、「勉強しなさい」の言葉を聞いて、お子さんのやる気がみるみる上昇し意欲的に勉強に取り組みはじめたことがある方、いらっしゃいますか?

ほとんどの場合、答えは『NO』だと思います。

なのにどうしてでしょうか。ついつい親の口から出る「勉強しなさい」という言葉。

言ってもほとんど意味がないのに。意味がないことを親はどうして繰り返してしまうのでしょう。

私の考える答えはこうです。子どもが勉強していると、私(親)が安心するから。勉強させたことによって成績が上がるようなことがあると、なおさら安心なんです。

それからもう一つの答え。親が、目に見えるものや現実的なもの(学歴や資格など)の価値に比重を置きすぎているのだと思います。

ですがちょっと考えてみてください。現実的なものの価値に重きを置いて接する時、その子の気持ちは置き去りになっていないでしょうか。学歴や資格を手に入れることで、気持ちの問題はなんとでもなると考えている大人がいるとすると、それはとても危険なことに思えます。

やる気がない子に親が褒めたり叱ったりして勉強をさせたとして、はじめは他の子にリードしていたとしても、自分から本気でやる気になって勉強を始めた子にはすぐに追いつかれてしまうでしょう。それに、短期で身につくような知識や、パソコンで検索すればすぐにわかるような内容は、これからの時代を生きていく子どもたちに本当に必要なのでしょうか。親の知らない時代を生きる子どもたちに、親の持っている知識を伝えたとしても、そこには親が期待するような価値はあるのでしょうか。

私が言いたいのは、先に勉強しておいても、あとで追いつかれてしまうから小さいうちから勉強に長い時間を使うことは無意味だということではないのです。そうではなくて、ここが本当にお伝えしたいことなのですが、子どもの頃のゆったりした時間に、遊んだり、ぼーっとしたり、なんの役にも立たないことをして過ごすことや、親に優しく受けて止めてもらって過ごせることは、その子どもの人生の重要な基礎になる、ということなのです。

「子どもの信じること」田中茂樹著

そんなこと言われても、中学生や高校生になると、勉強しない子どもを見るとイライラしてしまう。。。気持ちはわかります。

ですが、中学生や高校生って身体は立派に見えてもまだまだ親が必要です。

「そんなことしてないで勉強したら?」

と言ってしまいたくなる気持ちを抑えて、子どもがぼーっとしていてもきっとそれはその子に必要なことなんだ、と考えてみてはどうでしょうか。そして、試験期間なのに勉強とは全く関係ない話ばかりしてくる子どもに、心を傾けてみてはどうでしょう。親から見れば無駄に見えるような時間も、その子の人生の基礎になる時間だとしたら。そんな大事な時間を邪魔してしまってはもったいないですよね。

トロントへ渡った長男。
自己隔離期間が終わり、家探しをしているそうです。

勉強ができることは、その子が幸せになることの一つの手段にすぎないと思います。その子の成績や進学先よりもっと大切なこと。それは、その子自体が自分を幸せと感じられることです。そして、自分を幸せだと感じられる子は、その子の人生において何が起きても立ち向かう、強い力を生み出すことができると信じています。

「勉強しなさい」の代わりに「幸せになりなさい」

そう言える親でありたいと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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