「精神年齢が高いね!」
って言われたことはありませんか?
私も若い時はそうだったのですが(今は年齢もいっているのでw)、うちの子たちもよく言われるそうで、20歳になった長男は外見もシンプルシックに装っているため、初対面の人からは実年齢の2倍近くに思われることもあるそうです。
先日その長男と話していて、精神年齢の話になりました。
「精神年齢が高いねってよく言われるけど、精神年齢ってなんだろうね。」
「子どもっぽくないとか、しっかりしてるってことかな。」
「単純に老けて見えるってことかもね。」
などなど、いつものような会話の中で一つの考えに行きつきました。
「自分で選択してきた数かも」
人は自分で選択することで成長する
『人生は選択の連続』なんて言葉をどこかできたことがあるような気がします。
確かに朝起きてから眠りにつくまで、1日だけで考えても私たちの生活は選択の連続です。
自分で選択をするということは、その結果も自分で引き受けること。つまり自分の行動に責任を負うということ。
誰かに指示されたことをするとか、他人の目を気にして行動するといったことからは、本当の責任は生まれません。
自分で選択してきた数が精神年齢に関係する
という考えに行き着いた時、息子とふたり、本当にそうだね、納得納得、と無性に腹落ちしたのでした。
自分で選択し、結果を引き受ける。結果によって次の選択を考え、またその結果を引き受ける。そしてまた選択し・・・それを繰り返すことで自分の行動に責任を持つことができ、精神の成長につながっている。
精神が成長しているな〜なんて自分で意識することは少ないと思います。でも自分では意識しなくてもそれが他の人にも伝わるって、なんだか不思議だと思いませんか?
まず選択してみよう
精神年齢が高いからすごいと言いたいわけではないのですが、一般的に「精神年齢が高い」という言葉はポジティブな意味で使われることが多いように思います。そして、精神も身体もバランス良く成長するのが一番いいとも思います。
でももし、精神年齢が高い人がステキに思えるなら、『自分で選択すること』から始めてみてはどうでしょうか。
あくまで私と息子の見解ですが、人は意外と自分で決めてないことが多いです。
「こうした方が(世間的に)いいかな」
「こっちの方がいいって(あの人が言ったし)」
選択する軸が、自分ではない誰かになっていないか。
ゆっくり考えてみると、今までとは違う新しい選択ができるようになるかもしれません。
そして、今までとは違うちょっとステキな自分になれるかもしれませんよ。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
この記事へのコメントはありません。