長女が生まれた時、すぐに聞こえた産声に安堵したのを覚えています。
「元気な赤ちゃんですよ」
3人目だったこともあり、特に問題もなく無事出産し、赤ちゃんと私だけの幸せな入院生活も満喫しました。そして産院を退院する日、1枚の封筒をもらったのです。
「お子さん、心雑音があるから専門の病院を紹介します。すぐに受診してください。」
「はい。」
と答えることしかできなかった。心雑音?原因はなんだろう。なんでそんなことが。この子はちゃんと生きていけるのかな。これからどうなるのだろう。
紹介してもらった病院は、全国でも有名な子ども病院。そんな大きな病院を紹介されるなんてただ事では無いはず。
その日から、私のその子への眼差しは一変しました。
当時医療現場で働いていた私は、帰宅するなり子どもの世話もそこそこに、調べうるありとあらゆる文献を読み漁りました。読めば読むほど不安になるのは分かっている。でも、知らずにはいられない。とりあえず知ることが医療人である私のできることだと、その時はそんな使命感に駆られていました。
そうして、育児ではなく『観察』の日々が始まったのです。
泣かせてはいけない、泣かせれば体の酸素濃度が低下してしまう。今の顔色はどうか。おっぱいが飲めないのは苦しいからかもしれない。ちゃんと息してるのかな。鼻水が出ている。風邪かな。でも外には出てないし。お兄ちゃんたちが保育園から帰ってきたら手洗いうがいをしっかりしてもらわないと。空気清浄機を新しくしよう。手足が冷たい。血流が悪いのかな。夕飯の買い物行きたいけど、感染が怖くて連れていけないし。
異変を察知するために、赤ちゃんの表情を見るより、顔色や体温を気にしてしまう。すぐに対処してあげないと。私が気付いてあげないといけない。
気のぬけない毎日で、赤ちゃんの世話だけではなく、兄たちのことも疎かになり、あらゆることに神経質になっていました。でもそれは、そうすることが母親である私の務めだと思っていたから。
そうして迎えた初めての診察の時、順番が回ってくるや否や、私は先生を質問責めにしました。いついつ、こんな時に顔色が悪いとか、体温が低いのは心臓の病気のせいか、保育園へ通う兄とはどう接したらいいのか。
そんな私へ先生から帰ってきた言葉にハッとしました。
「お母さんは普通に子育てしてね。病気のことは私たちに任せてください。」
普通に子育て。
普通に子育てする。
そうだ。私は、この子の病態が気になるばっかりに普通の子育てをしていなかった。異変を感じては不安を感じるだけの観察をしていただけだ。観察をしていた故に、この子の日々の成長を、表情を、見逃していたんだ。手足を動かしたり、微笑んだりすることを見逃していたかもしれない。怖い顔で覗き込んでいたかもしれない、と。
医療の知識が少しあるとはいえ、この子に対する私の役割は母親。この子にとってはたった一人の母親なのだ。私にしかできないことは観察ではなく、この子を病人として扱うのではなく、掛け替えのない一人の娘として普通に子育てすることだ。その先生の一言で、無力さを感じるというより、気持ちがとても軽くなったのを覚えています。
結局娘は生後3ヶ月で手術を受けることができました。術後は良好で今でも定期検査には通っていますが、普通の子と何も変わらない生活が送れています。
母親ができることは母親でいること
子どもが病気になった時、苦しい思いをしている時、親はなんとかしてこの子の病気を治してあげたい、苦しみを取り除いてあげたいと思うでしょう。もしかしたら病気になったのは自分のせいだと、自分を責めたりすることもあるかもしれません。でも、目の前の子どもが母親に一番求めていることは、病気を治して欲しいでも、病気になったのはお母さんのせいだと認めてもらうことでもなく、暖かな手の感触、胸の温もり、優しい声なのかもしれない。もちろん子どもの考えることはことは私には分かり得ませんが、きっと普通の母親であること以上に求められていることはないのだとその時思いました。
子どもたちは順調に成長し、誰かに依存しなければ生きていけない時期は過ぎました。これからは新しい、もっと複雑な問題にぶつかる時が来ると思います。そんな時、母親である私にできることは、子どもを問題から回避することや、問題を解決してあげることではありません。そうではなく目の前の子どもを普通の母親として見つめること。教師や、ライバルや、同僚ではなく、ただ1人の母親としての眼差しで見つめること。ただそれだけだと、強く思った出来事でした。
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